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開港に伴い、横浜には運上所が設けられた。運上所とは、簡単に言うと物の出入りを管理する機関であり、外交事務や関税を取り仕切るだけではなく、幕府の外務、その他港の行政・刑事、更には船の製造や修理の監督まで行う総合的な役所だった。因みに「運上」というのは現在で言う税金の事である。設置場所は現在の神奈川県庁所在地で、当時は運上所を境に西側が日本人居住地、東側が外国人居留地だった。管轄としては、現在の紅葉坂の途中に置かれていた神奈川奉行の支配下にあった。1866年10月12日に関内大火(豚屋火事)で焼失したが翌年に日本最初となる石造りの洋風2階建て新庁舎が建築され、それを境に横浜役所という名称となり、1868年(明治元年)明治政府に移管されたのである。その後の1872年(明治5年)11月28日に横浜税関と名称を再度改め、現在に至っている。横浜税関という名称を聞いてもすぐに思い当たらないかも知れないが、クイーンの塔を持つ建物と言えば通りが良いだろう。ここで幕末の商人達は、諸外国を相手に行う色々な取引や物品の検査を受けたりしていた訳である。尚、横浜税関が誕生した11月28日は、日本全国にある運上所が一斉に「税関」という呼称になった日であり、それ以来この日は、税関記念日と呼ばれている。今でも神奈川県庁本庁舎の敷地内には、神奈川運上所跡の碑があり、当時を忍ばせている。 |
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