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 薩摩藩が定めた流刑により流罪となって奄美群島へ送られた人達が多くいた。

 薩摩藩がいつ頃から奄美諸島を流刑地と定めたのかは明らかでないが、おおよそ江戸時代後期からと考えられる。
流罪人は遠島人(もしくは配流人)と呼ばれた。

 罪の重さによって奄美大島、喜界島、徳之島、沖永良部島と次第に遠くなる。
また、奄美群島への流罪人には政治犯が多かった。
流罪人達の中には島民に学問等を教えた者いて、島々に良い影響も及ぼしている。

 例として1805年〜1852年の記録からみてみると、奄美群島で約350人前後の流罪人が常にいたようだ(因みに奄美の総人口は3万5,000人〜4万人)。

 流罪人には伊地知委安、名越佐源太、高崎正風、西郷隆盛、重野安繹等がいた。