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見出し1:先史〜貝塚時代

見出し2:人の起源と生活の様子

 奄美における人の起源はどうだったのでしょうか。また、先史時代から貝塚が多く発見された頃の時代の人々の生活の様子はどのようなものだったのでしょうか。

奄美諸島最古の人の痕跡

【奄美諸島で確認された古い遺跡】
・徳之島(伊仙町)のアマングスク遺跡〜2〜3万年前のものと思われる旧石器(ナイフ)が多数出土。
・奄美大島(笠利町)の土浜ヤーヤ遺跡〜約2万1,0000年ほど前の石器発見。
・奄美大島(笠利町)の喜子川遺跡〜約2万5,000年前の集石群が出土。
・沖永良部島(知名町)の中甫洞穴縄文人〜約6,000年前の土器と約3,200年以上前の人骨発見。
・徳之島(伊仙町)の面縄弥生人〜約2,300年前の女性の埋葬人骨が出土。
・奄美大島(笠利町)の宇宿弥生人〜紀元前後の母子の人骨が出土。

これらは奄美諸島における人の痕跡の古いものの一部である。すなわち約3万年前頃から奄美に人が住んでいたと考えられる。

奄美諸島の人の起源

 奄美諸島の人々のルーツはどこからきたのか。
現在の奄美諸島ではいわゆる縄文顔の人が多く、弥生顔の人は少ない。弥生時代に朝鮮半島を経て本州に分布したと思われる弥生顔の祖先は、奄美諸島まではほとんど及ばなかった可能性もある。

 あるDNA解析によると、人類はアフリカを起源としており、南方アジアから島伝いに沖縄を経て奄美諸島へ(そして本州へ)及んだとみられる(一部は別ルート(ロシアから朝鮮半島を経て日本の本州へ及んだ)もあったという)。
 ただし、詳しいところはわかっていない。

 奄美で最も古い人骨は中甫洞穴の縄文人(沖永良部島知名町)、面縄弥生人(徳之島天城町面縄貝塚)、宇宿弥生人(奄美市笠利町宇宿貝塚)などである。

 ちなみに奄美には「奄美人の遠い祖先は海の彼方の遠い国から渡ってきて島作りをした」という(※1)信仰(ニライカナイ信仰)がある。

当時の生活の様子

 旧石器時代から縄文時代までの奄美諸島の人々は、海岸付近や崖下付近、台地周辺部などに住み、サンゴ礁の貝や魚を採ったり、山ではイノシシ猟をしていたと思われる。
 縄文時代終わり頃から弥生時代の初め頃にかけては、竪穴式や石組み式の住居に住んでいたものと思われる。この頃から植物類を多く食すようになったと思われるが、本州に普及した稲作は奄美では普及しなかったものと思われる(地形や気象条件が適さなかったのではと思われる)。
 縄文時代には主に奄美独自の宇宿下層式土器などを使用していた。
土器は素焼きから弥生時代に入って薄手の弥生式土器を使用するようになっていった。
 弥生時代に入り、漁法は釣りから網や(海の石などで作った)垣を使ったものに変化していったと思われる。
 一方で奄美・沖縄で採れる貝の価値が高まり、中国や本州(その他広く東南アジアなども)を相手にした交易が盛んになっていった(詳しくは「交易の様子」のページで)。

(※1)ニライカナイ信仰〜生命・豊穣の源は海の彼方より訪れ、海の彼方へ帰っていくという信仰。沖縄・奄美における信仰。