明治時代以降 薩摩時代 琉球時代 グスク時代 先史〜貝塚時代
 HOME > 奄美の人物 > 丸田南里 

見出し1:奄美の人物

見出し2:丸田南里

丸田南里の墓 まるた なんり。1851年〜1887年。奄美市名瀬生まれ。

 14歳頃、イギリス商人グラバーに誘われイギリスに密航。10年間ヨーロッパに滞在した。
 1875年に奄美大島へ帰島。当時、明治以降も黒糖の独占販売を行っていた大島商社の違法性を指摘し(※1)、有志等に呼びかけ黒糖自由販売運動を全島に広めていった(勝手世騒動と呼ばれる)。
 1877年(明治10年)、55人の陳情団が鹿児島へ渡り訴えたが、県は彼らを拿捕した上、35人を西南戦争に従軍させた(うち6人が戦死)。奄美で運動中の丸田は捕えられ投獄される。

 苦難の連続であったこれらの運動であったが、遂に1878年、大島商社を解体に至らしめた。奄美にとっては江戸時代から延々と続いてきた黒糖地獄にようやく終止符が打たれる、という歴史的な出来事であった。

(写真右:奄美市井根町にある丸田南里の墓)

 (※1)明治政府は1873年に黒糖売買を自由化したにもかかわらず、鹿児島県は島民に自由化の通達を知らせることもなく、専売を続けた。