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見出し2:祖国復帰運動

祖国復帰運動発祥の地碑 終戦の翌年1946年(昭和21年)から奄美群島は沖縄やトカラ列島・伊豆諸島・小笠原諸島等とともにアメリカ領(信託統治)となった(日本との境界線は北緯30度線:トカラ列島の口之島まで)。
本州に住む奄美出身者は強制的に奄美へ戻された。

 戦争によって荒廃した沖縄はアメリカからの復興支援や基地建設により、活力を取り戻してくる。一方で奄美群島は、日本(本州)へ行くのにもパスポート発行窓口がある沖縄まで行く必要があったり、日本へ物を売るにも商品に高い関税をかけられたりして商売すら成り立たなくなったりした理由から経済的に困窮する事態に陥った。
 このような状況から奄美群島では祖国復帰運動の気運が高まってきた。
名瀬小学校校庭の階段泉芳朗を議長に奄美大島日本復帰協議会が設立され、その動きは次第に全島民挙げての激しい祖国復帰運動へと拡大していった。
 復帰を要求する署名では14歳以上の全島民の99.8%が署名を行った。
また、日本復帰を要求する大規模な断食祈願(ハンガーストライキ)が繰り返し行われ、全群島に広がった。
(写真右上:「奄美群島日本復帰運動発祥の地」の碑 写真右下:「日本復帰郡民大会」が開催された校庭の石段 いずれも奄美市名瀬小学校敷地内 (※1))

  奄美群島の祖国復帰運動はマスコミによって全世界に報道され、世論を動かし、遂に1953年(昭和28年)日本復帰を果たした(信託統治から8年後)。
(その1年前の1952年にはトカラ列島が日本へ返還された)

(※1)復帰するまでに計27回の決起集会が名瀬小学校校庭にて行われた。