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見出し2:お由羅騒動(高崎崩れ)

 お由羅騒動とは、薩摩藩第10代藩主の島津斉興の後継を巡る島津家の家督争い。「高崎崩れ」ともいわれる。

 本来、正室である弥姫(いよひめ)の子、島津斉彬が家督を継ぐべきであるが、藩主である島津斉興本人や側室であるお由羅の方、側近で倹約主義の調所広郷等がそれを認めず、お由羅の方の子島津久光を後継にしようと謀ったことに端を発する騒動(事件)である。

 (西洋の知識にも明るかった斉彬に対して、斉興や調所は"蘭癖は藩の財政を悪化させる"として信じて疑わず、斉彬を最後まで認めることはなかった)

騒動(事件)の流れ

・斉彬ではなく、久光を後継にと考える斉興等の謀を知った斉彬派の藩士たちは、江戸幕府老中の阿部正弘に(島津藩による)琉球密貿易を暴露(1848年)。これにより江戸で事情聴取を受けた調所はその後急死。
・斉興は斉興派の襲撃を画策しているとして、斉彬派である近藤隆左衛門・高崎五郎右衛門等50名に切腹・蟄居・遠島などの重い処分を課した(1850年)。
・老中阿部正弘は事態を知り、斉興に隠居を勧める。斉興はようやく藩主を斉彬へ譲った(1851年)。

その他

 後の斉彬の急死(1858年)もこのお由羅騒動に関係した(斉興による)暗殺との見方も強い。
斉彬の死は、斉彬を慕っていた西郷隆盛の運命にも大きく影響を及ぼした。

 「南島雑話」「遠島日記」を記した名越左源太の他、高崎正風もこのお由羅騒動に連座して奄美大島へ遠島処分を受けた人物。